名馬と和紙の里

名馬磨墨(するすみ)と手漉き(てすき)和紙の里

【自然】

栃木県佐野市飛駒町は盆地の周囲を500~600mクラスの山々に囲まれた自然の豊かな山里です。丸岩、野峰、奈良部の1000mクラスの三山を源とする清流彦間川は村のほぼ中央を流れ、下彦間町、閑馬町、山形町と南下し、戸奈良町で旗川と合流し、髙橋町で渡良瀬川に注ぎます。

【伝承】

永台寺
源平の戦いが激しさを増すおおよそ800年前、寿永(じゅえい)3年(1184年)の宇治川の先陣争いで、その名を馳せた名馬磨墨は、我が飛駒の産なりと、今日まで永く語り継がれてきた当地を代表する伝承です。

【産業】

飛駒 和紙会館
江戸期の明暦(めいれき)3年(1657年)を起源とする飛駒和紙は地元産の楮(こうぞ)を主原料とする良質な手漉き和紙です。

最盛期には20軒を越す紙漉き屋が存在しましたが、時代の変化により業としては成り立たず、現在は佐野市の助成を受けながら保存会を組織し、紙漉き技術の継承に取り組んでいます。

【歴史】

特筆すべきは、江戸期の寛永(かんえい)10年(1633年)より、明治4年(1871年)までの238年間にわたり彦根藩井伊家の領地であったことです。

十三代彦根藩主井伊直弼公は嘉永6年(1853年)3月25日(陽暦5月2日)佐野領巡見の折り、根古屋の大学院(現在の森林公園管理棟)で昼食を済ませ、当日の宿となる下彦間の斉藤家に向けて大行列が出発しました。直弼公は領民の立場に立った施政を行い慕われておりました。

・彦間川の水害防備として竹林を奨励した。

・冬場の副業として楮の木を材料とした紙漉きの奨励なども行った。